1980(昭和55)年
1991(平成3)年
予期せぬ苦難を乗り越え、
新たな飛躍に挑戦

大規模工場の先駆けとなった神戸グリコとグリコピア神戸
二度にわたるオイルショックを経て低成長期に入った日本は、産業構造の転換に成功して経済大国への道を歩みます。その後、円高不況に陥りますが、対策として実施された利下げをきっかけにバブル景気が始まるなど、経済情勢は激しく変化しました。

この間、当社でも創業者江崎利一の死去(1980年)、副社長江崎勝久の第3代社長就任(1982年)、広域重要指定114号事件の発生(1984年)など大きな出来事が相次ぎました。一方、小売業ではスーパーマーケットに続いてコンビニエンスストアが急成長し、流通業界はかつてない変革期を迎えようとしていました。

当社では1985年7月に菓子・冷菓・食品の3事業本部制を採用して、開発・研究と営業を一体化することで事業活動の効率化・迅速化を図るとともに、プリッツやポッキーなど主要商品の付加価値を高めながらバリエーションを拡充。

急成長するスーパーやコンビニへの対応を進める一方、ギフト需要の開拓や自動販売機事業の展開など、菓子をはじめとする成熟市場への対応策も講じていきます。また研究開発部門では、基礎研究の強化を図るため1986年に生物化学研究所を開設しました。

1980年代後半にバブル景気が本格化すると消費者の間では高級志向・本物志向が広がりました。社内では1992年の創業70周年や21世紀の到来に向けて変革の機運が高まり、1989年10月には若手従業員による「21世紀プロジェクト」がスタート。その答申を受けて1990年8月には全社変革運動「テイクオン21」がスタートすることとなり、1991年6月には次代を見据えた「10年基本構想」が発表されました。
