55億個のおもちゃに宿る、創意工夫の精神
「食べる」と「遊ぶ」は子どもの二大天職。
つまり「お菓子を食べる」も「おもちゃで遊ぶ」もどちらも重要であるという考えから、Glicoでは付属のおもちゃのことを決して「おまけ」とは言わない。
子ども時代、いつも近くにあった小さな赤い箱。そのふたを開ける時の高揚感、当時憧れていたヒーローや乗り物を手に入れた時の喜びは、今でもその頃の風景や匂いと共に懐かしく思い出される。
Glicoのお菓子に付いてくるおもちゃは、子どもの世界を真剣に見つめ、遊びから広がる豊かな世界を願う江崎グリコ創業者、江崎利一の尽きぬ想いから生まれたものだ。これまでに開発されたおもちゃはなんと約3万種類、約55億個。
今回は昔懐かしい昭和レトロなGlicoのおもちゃのルーツから、デジタルと融合した最新のおもちゃまで一気に紹介しよう。
グリコのおもちゃのルーツはなんと遡ること95年前!
1922年に、グリコのおもちゃのルーツともいえる『絵カード』がキャラメルと一緒に封入された。その後1929年に今では定番となっているおもちゃ小箱が登場。その時代のおもちゃの歴史について詳しくはこちら。
-
「食べる」と「遊ぶ」を一箱に!グリコの歴代おもちゃを振り返る
-
昭和40年代〜高度成長期の世相を反映したグリコのおもちゃたち。
-
やっぱりパンダが好き!なライター
高橋弥生
戦争激化、物資不足で一時は製造中止に。終戦後、国の復興とともに復活
1942年、戦争激化とともにグリコは一時製造を中止する。終戦直後の1947年にグリコは復活。しかし当初は物資不足から材料は紙、粘土、ゴムなどが中心に。クレヨン、消しゴム、チョークなど実用小物が喜ばれた。
乗り物や建物、家電などの細かい形状を「プラスチック」で実現
この時代主流だったセルロイドに代わり、1958年にはプラスチックのおもちゃが誕生。飛行機や車、家電など「当時の憧れ」をおもちゃに。子どもたちは自分たちの憧れの生活を思い描きながら遊んだ。
昭和40年代、ミニカーや怪獣のコレクションに没頭した毎日
時は“大阪万博”で盛り上がる昭和40年代(1965年〜)。カラーテレビや 電子レンジの登場で暮らしは一変。レーシングブームも全盛の時代、街を走る車を見て瞳を輝かせていた少年時代、小さな小箱からスポーツカーが顔をのぞかせると、歓喜の声をあげたもの。畳の上でその小さな愛車を走らせては夢の世界に浸っていた思い出が懐かしい。これらのレトロなおもちゃは江崎記念館でも見ることができるので、気になる人はぜひ行ってみてほしい。
時代は平成に。世代を超えて家族で楽しさを共有できるおもちゃ
パソコンが普及し、モノが豊かになりすぎた平成の時代。
テレビゲームが子どもたちの遊び時間を占領しても、モノをつくって遊ぶ楽しさ、シンプルな仕組みから生まれる驚きを変わることなく届け続けたい。
江崎利一の想いは脈々と引き継がれ、子どもたちには新鮮に、大人たちには懐かしくも新しさを感じてもらえるよう、温もりあふれる木のおもちゃが生まれた。
そして現在。アナログとデジタルが融合した、遊んで学べるおもちゃが登場
子どもたちを取り巻く環境は今やデジタル化をなくしては語れない時代。
変化を敏感に察知しながら新たなステージを切り開いてきたグリコのおもちゃもついにバーチャルな世界に突入する。
リアルな木のおもちゃの動物たちをスマホで撮影すると、バーチャルな世界の中で動きだすというデジタルとリアルの融合。
さらにただ動くだけでなく、動物の生態を学べる仕掛けが遊び心を惹きつける。
創業当時から大切にしてきた、リアルなおもちゃの手触りを活かしながら、デジタルコンテンツで「考えて学ぶ」欲求を刺激していく。
デジタルネイティブ(digital native)世代と言われている子どもたちにとっては親しみやすく、新たな想像力の開花に一役買うことだろう。
子どもや孫と家族みんなで、考えながら遊び、遊びながら学んでいく。子どもの成長、家族の幸せを願うGlicoのDNAは90年以上経った今も、子どもたちの“ワクワク”をエネルギーに、進化し続けていく。