「食べる」と「遊ぶ」を一箱に!グリコの歴代おもちゃを振り返る
「食べながら遊び、遊びながら食べている。どちらか一方だけでは満足しない、それが子どもの世界」。『食べる』と『遊ぶ』を子どもの二大天職と考えた創業者江崎利一が考えついたのは、その2つを一体化することでした。栄養菓子グリコが健康な身体をつくり、おもちゃが豊かなこころを育んでくれますように。子どもを想う気持ちから、おもちゃ入りグリコは誕生しました。だから、 オマケじゃなくて「おもちゃ」。
大正~昭和、平成と、これまでの歴史の中で生み出されたおもちゃは約3万種類、その数なんと約55億個!一つひとつの素材やテーマは、その時代の経済や文化、家族の暮らしぶりを映しだす鏡。その極小の世界は、子どもの頃の自分に戻れるタイムマシンのようなもの。
「あ、そういえばこのおもちゃ、どこかで見たかも」
あなたの家の片隅に、机の引き出しの奥に、小さなおもちゃが眠っていませんか?
はじまりは、1922(大正11)年の「絵カード」から
子どもの愛らしさが全面に表現された「絵カード」は、グリコのおもちゃのルーツとも言えるものです。これは当時のたばこ「サンライズ」に入っていた美人画をヒントに、子どもたちの様子を描いたもの。大正時代の体操服や髪飾りがなんとも時代を感じさせレトロ!さらによく見ると「グリコ一粒三百メートル」「たのしいグリコでレコードつくる」「グリコのげんきでトブわトブわ」など、愉快ななキャッチコピーが躍っています。子どもの成長を『食べる』と『遊ぶ』で手助けしたい。そんな“Glicoの精神”がここにもしっかりと息づいています。
「大正デモクラシー」の自由な雰囲気の中で子ども達の遊びも多様化し、メンコやベーゴマ、ビー玉遊びが流行した時代。元気いっぱいのこの絵カードからも、当時のハイカラな暮らしぶりをうかがい知ることができます。
おもちゃ小箱登場。メダルのおもちゃを造幣局に発注?!
キャラメル栄養菓子「グリコ」に、発売当初は「絵カード」を、やがて1927(昭和2)年から小さなおもちゃが入れられました。最初は市販の豆玩具(まめがんぐ)が中心でしたが、1929(昭和4)年に「おもちゃ小箱」が登場し、オリジナルのおもちゃへと徐々に発展、封入できるおもちゃの種類も増えていきます。中でも人気を呼んだのはメダル。歴史上の英雄などのヒーローをモチーフとした銅製のメダルは子どもたちの間でコレクションすることが流行となり、グリコのおもちゃを広く知らしめる存在となりました。
さらに、Glicoは良質なメダルを子供たちに届けようと、1930(昭和5)年には造幣局に頼み込み、60万個を発注!“おもちゃ”に真剣に向き合う意気込みに、造幣局の方々も驚きを隠せなかったそうです。造幣局の年史をめくると、華やかな勲章や金貨の歴史と並んで「グリコのおもちゃを製造」という項目を発見!そこにはメダルのおもちゃとグリコのパッケージがお行儀よく並んで紹介されているのでした。このレトロなおもちゃは江崎記念館で見ることができるので、気になった人はぜひ行ってみてください。
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2児の母ライター&エディター
高橋 弥生